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先週、道を歩いていたら。
かつて児童クラブで共に過ごした学童さんとすれ違った。
最初彼女とは全く気付かずに、すれ違いざまの挨拶をする為に顔を見て...彼女もこちらを見て。
「こんにちは」と交わし合いながら...。
「......あー!」とお互いに声を上げて気付き合った。
当時、小学1年生から2年生まで学童保育でおつき合いのあった彼女も、今はもう6年生。
子ども達はどんどん成長して大人顔になるので、ただすれ違っただけではもう気付けない(笑)
挨拶をする為に見つめ合ってようやく、互いの記憶が繋がった。
彼女との思い出は多い。
担当エリアの小学校は2校で、放課後は所定の場所に集まった児童を迎えに行くのが日課だった。
ある時。
小学校の中庭で待っていた彼女に、靴ひもがほどけたから結んでほしいと頼まれた。
靴ひもはもちろん、みんな自分で結べる。
それは本人も分かりきっている事なので、この時の彼女の意図が私には分からなかった。
なぜ、自分では結ばないのか。
それで。
「靴ひもは自分で結んだほうがいいよ。自分で出来る事は自分でするんだよ?」言うと、
彼女は怒りながらしょんぼりするような表情になった。
“怒りながら”と言っても、私に対して怒ったのではなくて、
自分ではどうにもならない事情への反応、という印象だった。
そしてその後すぐに。
「自分で結んだらイイコトにならん。知民先生が結んだらイイコトになる」
と、少しうつむき加減で言った。
あぁ..そういう事だったのか...。
彼女の事情を理解した私は、彼女の靴ひもを結んだ。
気持ちの問題?わかってる。
でもその、「気持ちの問題」が本人にいかに現実的な影響を与えるか、その事を重視したい。
少なくとも彼女はこの時、「イイコトになる」と信じ身近な未来について安心する事が出来たのだから。
そんなふうに。
誰かにとっての安心の「道具」になれた瞬間を、今思い出しても心が感謝で満たされる。
どうでもない日常のひとコマには常に魔法の瞬間が織り込まれていて、
誰かにとっての肯定的な「道具」になれるチャンスは、全ての人に平等に与えられている。
そして彼女は、そのチャンスをくれた「天の使い」だった。
彼女は当時。
私の描く絵を、あからさまにことごとく真似て描いていて(笑)
けど、明らかに彼女の作品の方が見事で。
う...やっぱ、子どもの描く絵にはかなわないなぁ..と、負けを認める毎日だったり(ニコリ☆)。
1人で通わなければいけない習い事の初日、どうしても1人で行く事が出来なくて。
最初は一緒に歩いたけど、そのうち1人で行けるようになった。
最初はそれでいい。
大人に依存させる気持ちがなければ、子ども達は自ずと卒業して行ける。
日常の、小さな出来事の「卒業」の連続で、自信を積み重ねて行く。
大人だって、「最初」は恐いでしょ?
男でも女でも、年齢がいくつでも、不安や恐れにかられる時は当たり前にある。
自分が恐れている事を自覚した方が、問題解決がはやいことも割に?多いしね。
もうひとつ、彼女との思い出。
ある時。
小学校から参観日のフリープランのお誘いがあった。
参観を保護者に限定せず地域の人達により多く参加してほしいという試みで、
せっかくなので行ってみよっかな...と思って小学校の参観日に足を運んだ。
どのクラスに行こうかと少し考えて、日頃から関わっている児童が最も多いクラスに入った。
「あ!...知民先生が来てる」
いつもと違う参観日に、子ども達のアンテナが反応してテンションが上がっている(笑)
「あれ?先生、?どうしたんですか?」と、保護者の方に声をかけられたりしながら。
初めての授業参観。
すると。
工作の途中、「それでは、お父さんお母さんはお子さんの傍で一緒に作ってあげてくいださい」と、
担任の先生から声がかかった。
それぞれが自分の子どもの席に移動する。
タイミングとは。
絶妙なものだ。
彼女のご両親が(共に仕事で)お休みだった。
事情を察してすぐに彼女の席の横に行って隣にしゃがんだ。
両親が来ていなかった彼女の不安顔が、一気に笑顔に変わった。
こういうタイミング(役目)だったのかぁ...と自覚しながら、彼女と共に工作をした。
“先生、行かないでね、終わるまで傍にいてね”
すがるような彼女の思いが波動で伝わる。
背中に手をあてて、「大丈夫、ちゃんと傍にいるからね」と伝えた。
その年のクリスマスイブに、彼女からクリスマスプレゼントをもらった。
スポンサーはもちろんお母様で、
お迎えにいらっしゃった時に彼女が選んだものだと、お母様から頂いた。
それは、たたみ込んで小さくなるタイプの“エコバッグ”だった。
後日彼女から「先生、あのバッグ一生使ってね!」と言われた(笑)
一生使うには....毎日は使えない。
休み休み少しずつ使わないとボロボロになってしまうから。
彼女の希望を叶えるべく、そのエコバッグは「一生」持つように加減して使う..というより、
保管している。
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児童クラブを退職する際には彼女のお母様からお手紙を頂き、とても温かい言葉をかけて頂いた。
文末には“また必ずお会いできると信じています”と綴られており、
お母様のその思いに、感謝が絶えなかった。
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そして彼女は。
今年の4月には中学生になるのだ。
なんてこと!中学生!?
彼女は小学生から中学生になる。
同じ月日が経ったのに、私には何学生という変化はなく、ただのなんでもない大人。
でも。
社会に出てからの時代にも。
何かの区切り毎に、ひとつひとつ学生名をつけてみると面白いかもしれないと考える。
そうすると今の私は何学生かなぁ...迷学生?
....いや、もう少しマシな名前がいいな。
寝ながら考えよっ。
じゃ、オヤスミナサイ。
【20090222/23:50】

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