Slow Work System
Slow Work System ワード・スペース
そふ−A
昭和(しょうわ)20年8月31日。

終戦後(しゅうせんご)祖父(そふ)()んだ。

終戦(しゅうせん)目前(もくぜん)の7月14日に赤痢(せきり)感染(かんせん)

(いき)()()るまでの(やく)1ヶ月半(いっかげつはん)

中国(ちゅうごく)漢口(かんこう)(ハンコウ)の陸軍病院(りくぐんびょういん)収容(しゅうよう)されていた。



福岡(ふくおか)宗像市(むなかたし)から(ふね)()り、中国(ちゅうごく)武漢(ぶかん)(ウーハン)に到着(とうちゃく)した祖父(そふ)から

最初(さいしょ)葉書(はがき)(とど)き、祖母(そぼ)()した返事(へんじ)祖父(そふ)(もと)(とど)いた。

そして。

祖父(そふ)からの2度目(にどめ)葉書(はがき)最後(さいご)に、祖父の消息(しょうそく)途絶(とだ)えた。


戦死(せんし)公報(こうほう)(とど)いたのは、翌年(よくとし)の7月。

それまで祖母(そぼ)曾祖父(そうそふ)も、祖父(そふ)()きて(かえ)ると(しん)じていた。

わざわざ表現(ひょうげん)するまでもないが、

(のこ)された(もの)落胆(らくたん)相当(そうとう)なものだった。



祖父(そふ)()くなる1日(まえ)昭和(しょうわ)20年8月30日、祖母(そぼ)奇妙(きみょう)体験(たいけん)をしている。

(あさ)6時頃(ろくじごろ)

目を()ました祖母(そぼ)は、時計(とけい)を見ながら「そろそろ()きないと...」と(おも)いながら

まだ(ねむ)っている(ちち)(私の父の(こと)祖母(そぼ)息子(むすこ))の(ほう)を見ると、祖父(そふ)が父の枕元(まくらもと)(すわ)って

父の(ひたい)()()いて、まるで(ねつ)(はか)るような姿(すがた)でそこに()た。

祖母(そぼ)祖父(そふ)戦地(せんち)から(かえ)ったものと思い「あら。。いつ(かえ)ったと?」と、言った。

実際(じっさい)には、祖母は(こえ)を出したかどうかはハッキリ(おぼ)えていないと言う。

(こえ)に出したか出さない(うち)に、祖父の姿(すがた)()えていた。

祖母(そぼ)()き出して(となり)部屋(へや)を見たりして(さが)したが、どこにも姿(すがた)()かった。

祖母の感覚(かんかく)では、()ぼけていたり(ゆめ)だった印象(いんしょう)()く、

その(とき)(たし)かに目覚(めざ)めており、それゆえあまりに奇妙(きみょう)(こと)だったので、

その事を日記(にっき)()()めていた。


戦死(せんし)公報(こうほう)(とど)いた(あと)祖母(そぼ)はその出来事(できごと)を思い出し、

当時(とうじ)日記(にっき)を出して来て日付(ひづけ)確認(かくにん)した。

祖父(そふ)(いき)()()前日(ぜんじつ)だった。

祖母(そぼ)(あわ)ててお(てら)(あし)(はこ)んだ。

その日記の内容(ないよう)と祖父の戦死(せんし)(つた)え、

(おも)わず「人間(にんげん)(たましい)本当(ほんとう)にあるのでしょうか」とお(ぼう)さんに(たず)ねた。

(ぼう)さんは「あります」と即答(そくとう)し、祖母(そぼ)体験(たいけん)した(こと)説明(せつめい)(かみなり)稲妻(いなずま))の(たと)(ばなし)をした。

稲妻(いなずま)(かみなり))と(おな)じだと。


(かみなり)(なに)()きつけるものがなければ()ちない。

引きつける何かがあるからこそ、そこに落ちる。

(たが)いの(おも)い((きずな))が一致(いっち)した時にそれは()こる。


戦地(せんち)祖父(そふ)は、家族(かぞく)のことをよほど思っており、

その思いが距離(きょり)()えて()んできたのでしょう、と。


そして(おな)じく、祖母(そぼ)祖父(そふ)をどんなにか心配(しんぱい)していたから、

その姿を見る事が出来たのだろうと。


(たましい)(きずな)を、お(ぼう)さんはこのように祖母に(つた)えた。


祖母(そぼ)はその()(からだ)(よわ)さを克服(こくふく)し、父を(そだ)てた。
現在(げんざい)90(さい)現役(げんえき)



この文章(ぶんしょう)仕上(しあ)げるために、祖父(そふ)写真(しゃしん)をいろいろ(さが)していたら。

(ちい)さな写真立(しゃしんた)てが出て来た。

写真立ての中の写真は(おな)じのが何枚(なんまい)かあり、アルバムにも()られている。

だから(あたら)しい発見(はっけん)ではなかった。

けど、

写真立(しゃしんた)てが可愛(かわい)かったので手に()って(なが)めて見たら、中の写真が(かたむ)いていたので、

()()ぐにしようと思って(うら)()けて見ると。。

中から写真立てのサイズに()わせたメモ(がみ)がたくさん出てきた。

()んでみると、それは(ちち)()いたメモだった。

記入(きにゅう)された年代(ねんだい)からすると十代(じゅうだい)後半(こうはん)大学受験(だいがくじゅけん)(ころ)だと思う。

そこには当時(とうじ)の思いや反省(はんせい)(つづ)られており、

祖父(そふ)写真(しゃしん)一緒(いっしょ)に写真立ての中に入れてあった。

祖父(父親(ちちおや))への、いろんな思いがあったのだろうな。

父親に相談(そうだん)したいこともあっただろうな。

(とう)さんに、(そば)にいてほしかったろう。


  写真立(しゃしんた)ての中の写真は

  ()りをしていた曾祖父(そうそふ)猟銃(りょうじゅう)()って

  祖父が狩りへ()()で立ちで

  (うつ)ったもの。



私は当然(とうぜん)祖父(そふ)()らない。

だけど子どもの(ころ)から祖父の存在(そんざい)身近(みじか)(かん)じていた。

勝手(かって)に「じーちゃんが(そば)にいる」と(おも)()んで()らしていた。



祖父は「仕立屋(したてや)」だった。

ミシンを()んで洋服(ようふく)仕立(した)てるのが祖父の仕事(しごと)だったのだ。

洋服店(ようふくてん)』の

店主時代(てんしゅじだい)祖父(そふ)

4才の父

(ちち)
、4(さい)。この(ころ)、祖父はもういない。

父が()ているコートとズボンは

古着(ふるぎ)解体(かいたい)して、祖父が父のために仕立(した)てたもの。

(くび)には曾祖父(そうそふ)()りで()って来た、

モマ(リス()動物(どうぶつ))の()()()けてある。

祖母(そぼ)が言うには、まだ父が(ちい)さい(ころ)

祖父が、それはもう一生懸命(いっしょうけんめい)仕立(した)てたそうだ。

はいている草履(ぞうり)は、祖母の手作(てづく)り。




中学校(ちゅうがっこう)()える(ころ)に、私が服飾(ふくしょく)勉強(べんきょう)がしたいと言いだした(とき)

祖母も母も奇妙(きみょう)(かん)じたらしい。

それまで手芸(しゅげい)にすら興味(きょうみ)(しめ)さず、

家庭科(かていか)授業(じゅぎょう)でエプロンやスカートを制作(せいさく)する宿題(しゅくだい)(すべ)

祖母に(たの)んで(つく)ってもらい、自分(じぶん)は何もしなかった。

祖父が「仕立屋(したてや)」だった(こと)をわざわざ意識(いしき)したこともなく、お裁縫(さいほう)(だい)苦手(にがて)だった。

高校(こうこう)入学(にゅうがく)すると()もなく、父が新聞(しんぶん)()()きを()ってきた。

当時(とうじ)人気(にんき)デザイナーのパリコレの記事(きじ)だった。

そのデザイナーの出身校(しゅっしんこう)である「文化服装学院(ぶんかふくそうがくいん)」の名前(なまえ)記載(きさい)されており、

父はその()()きを私に見せて、

(ふく)勉強(べんきょう)をするなら、この学校(がっこう)がいいのではないかと言った。

その()高校を卒業(そつぎょう)して、私は「文化服装学院(ぶんかふくそうがくいん)」へ入学(にゅうがく)した。



じいちゃん、(ふく)勉強(べんきょう)はすごく(たの)しくて、出会(であ)った人も出来事(できごと)

この(うえ)なく素晴(すば)らしく、そのプロセスについて私は大満足(だいまんぞく)です。


それから月日(つきひ)()って、今はレイキヒーラーになってるけど。。これで()()ってる?


じいちゃん、今はもうどこかに()まれ()わった?

それとも。まだ、(やす)んでる?


じいちゃんのおかげで、大の苦手(にがて)だったお裁縫(さいほう)克服(こくふく)したよ。

あ。それと、じいちゃんの使(つか)ってた足踏(あしぶ)みミシン、まだ(うご)くし()えるよ!

足踏(あしぶ)みは(たの)しいね、リズムがあって。



それじゃ、またね。


()まれ()わったら一声(ひとこえ)かけてね!


【20080406/19:06】








ワード:メニュー


トップページ
Copyright (C) 知民 2006-today All Rights Reserved.